
月日の経つのは早いもので、TIGERは30周年を迎える事ができました。
今、私は自分の健康寿命は90才以上と思っている。
20代・30代の頃、健康生活とは無縁でした。
「”男”とは田んぼの力」と書く。
力いっぱい田んぼを耕すように仕事に生きる。
自分の技術を磨き、世に認められることが本分であると思っていた。
よく考えれば無理しちゃっていました。
誰に教わったか忘れましたが、自分の能力を高め「地位、名声、そして財を築く」。
そんな私の生き方に、ジンワリと、カラダの異変が表れました。
気がつけば、肝臓はフォアグラ状態。アキレス腱は固くなり、腰から下はパンパンに張り、疲れが溜まっていた。
ぎっくり腰や、肩の張り、背中は痛み、首は張る。そして頭痛もち。
若さにまかせ、勢いで法人会社を設立いたしました。
1983年、株式会社TIGERの設立。
美容室の経営を中心に某化粧品会社の社外講師の仕事。
当時、テレビ局からの依頼をうけ、約10年間美容師として番組出演をしていました。
番組の名前は、静岡朝日テレビ(土曜の朝番組)『おはよう静岡』の変身コーナーです。

若かりし頃の私、テレビ局の収録現場にて
この番組の司会は、『白いブランコ』『まだ君を愛してる』の曲でお馴染み、ビリーバンバンの菅原 孝さん。
実は、そのコーナーの出演待ち時間、控え室の書棚にポンと置かれた一冊の本が目に入り、何気なくその本を手に取ると、タイトルが「活性酸素とSODの理解」。
本のページを開くと、堅苦しい著書とは違い、身体の酸化(サビ)や抗酸化(さび取り)がわかりやすく書かれていた。
お借りし、その本を何度も、何度も、読み返す内に、内容を、もっと知りたい。
著者に直接質問もしたい。
これが、私と、京都大学医学博士丹羽靱負先生との出会いでした。
少し長くなりますが、お聞きください。
1988年4月24日(月)、TIGERの美容スタッフや友人、テレビ局のご協力で、丹羽博士の健康セミナーを開催いたしました。
会場は、静岡アソシア・ターミナルホテル。(来場者数187名)
健康セミナーは、博士が研究なされている「活性酸素とSOD」と「独特の自然回帰論」。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、丹羽博士は、重症アトピー性皮膚炎の臨床医としても有名でした。

実は、私には、健康セミナー開催の目的がもう1つあります。
当時6歳の私の長男が、重症アトピー性皮膚炎でした。
汗をかけば痒がり、爪を短く切っておいてもかきむしってしまう。
寝ているときは特にひどい!
力いっぱい引っ掻き、下着はいつも血が付いている。
人から海水が良いと聞けば、海に連れて行き、酵素風呂や蒸し風呂が良いと言われれば連れていった。
勿論病院にも通いました。
何でもいい、長男の症状が少しでも軽くなるなら・・・・・。
この健康セミナーの後、長男のアトピー改善の手がかりになればと思い、丹羽博士に診察をお願いしました。
博士は、気持ちよく引き受けてくれた。
博士が私の息子を見つめる。
私は息子の隣に座り、落ち着かない。
しばし沈黙・・・
博士から私の長男へ、「おい僕ちゃん! これでよーならんかったら、おっちゃんの土佐にある病院来るかい?」
メガネの奥は、優しい医者の眼差しでした。
その診察で、博士から、丹羽免疫研究所開発のSOD様抗酸化食品と、ルイボスティーの抽出エキスを勧められた。
病院からは、長男用の軟膏が送られ6ヶ月、私の息子は完全ではないが、以前よりはるかに回復した。
それからの縁で、博士と私とのお付き合いがはじまりました。
健康セミナーが終了後、博士からのお便りが届きました。
その、末文の一言。
『やがて、21世紀を迎える人類に、少しでもお役にたちたいと考えています。』・・・丹羽靱負
この言葉で、私の心は震わせられた。
素直に感動し、共鳴まで覚えた!
ほんとに、丹羽博士は、人類愛があり、心から素晴らしい人と思った。
数日後、保険会社ニッセイ静岡営業部の植村 博部長へ丹羽博士健康セミナー開催のお願いに上がり、承諾を受けて、私は開催に向け慌ただしい毎日だった。
元ニッセイの植村 博部長、岐阜の佐藤 隆雄支社長、蒲原の大島支部長、各支部の方々をはじめ、大勢の方のご協力でニッセイ・セミナー『健康を守る日本生命100周年記念講演』が開かれ、その後、各方面でも開催されました。

ニッセイ記念セミナー 1989年9月17日(月) 静岡文化会館大ホール 来場者 約1,000名
1989年9月には、健康セミナーなどの目的の㈱ニワ・インターナショナルを設立。
後に、TIGERと合併する。
丹羽博士の健康セミナーは、聴講者の方にも評判が良かった。
「伊東さん、このセミナーは素晴らしい! ありがとう!」 と言われ、私はとても嬉しかった。
しかし、丹羽博士が開催時間に遅れる事がしばしば・・・・・。
その理由は、博士の病院には、重症の患者さんが多い。
学会などの論文作りで、日夜時間がない。
思い起こせば、東京の新宿NSビルで開催したニッセイセミナー(日生の上お得意様300名)では、準備は万端、開催一時間前、私が博士の携帯に電話をすると、「おうおう伊東君、今大阪じゃ、今から、のぞみで行くから少し時間を稼いでくれ!」
私は目の前が真っ暗。
〝1時間半もどうするの!〟
ドキドキしながら、博士の遅れをご来場の方へ説明し、ニッセイの支店長様のお話で何とかその場をしのぐ。
会場からは、お医者さんだから、診察で遅れるのは仕方がないな、お医者さんだから…、とボソボソ声が聞こえる。
お話を聞きに来た方はジッと待ってくれた。

他の健康セミナーや健康相談の時、遅れることもしばしば。
私は、じっと待っている来場者の顔を見るのが辛くなる。
だから、いつも博士が会場に到着するまで、はらはら不安と緊張の連続でした。
健康セミナーが終わり、ほっと一息を付く。
でも、しみじみ思います。
丹羽博士は丹羽免疫研究所の片隅で朝を迎える日もある。
病院長として診察に明け暮れ、研究論文を書き、自ら国際学会で発表している。
忙しいのに、健康セミナーの会場まで足を運び、熱弁で3時間位、立ったまま講演。
丹羽博士の気迫と心意気は凄かった。
『やがて21世紀を迎える人類に少しでもお役にたちたいと考えています』
この丹羽博士の生き方は本物でした。
凄い先生と実感。
一冊の本との出会いから…。

第3回国際ガン学会(オーストラリア・ダーウィン)にて
丹羽靱負博士の活性酸素理論に魅せられ、啓蒙の活動を歩む。
出会いの頃は、赤ひげ先生のような丹羽博士と各地を回っていた。
その博士も、高知県で民間病院とは思えない大きな土佐清水病院を開設し、全国の主要な地域で診療所を開いている。
いままで、丹羽博士から学んだことは沢山あります。
私のカラダも丹羽式健康法のおかげで、すこぶる健康になっていった。
当時、医療相談の事を、博士は「食事・生活・健康指導会」と看板の指示を出した。
丹羽博士が、「なあ、伊東君、遺伝などの例外はあるが、大半が生活の仕方(心の持ち方・運動・食生活・睡眠)で健康寿命は決まるんじゃ。
それから、わしの健康寿命は105歳じゃ、患者の脈を測りながら往生するんじゃ。」
また、博士は、次のようにも話された。
寝たきりになって、何歳まで生き延びるかの寿命の延長は、たまらん!
いくつになっても足腰が丈夫で、ボケず、周りの人に迷惑かけないことじゃ。
だから、ワシは、定期的に「食事・生活・健康指導」をしている。
周りが、聞いていても、聞かなくても、くりかえし話す。
少しずつでも、あ、こんなことワシが話していたなと頭の片隅にあれば、少しは役に立つだろう。
神経質にならない程度、健康を意識すればいいのだ。

2011年モンドセレクション最高金賞受賞
20年ほど前、私は考えた。
多忙な丹羽博士をあっちこっち引き回し、毎月セミナーや、食事生活健康指導会を開いていったが、私は、お客様へ毎月健康をテーマに、すこやか通信、会員様の毎月の予定を書くマイ・スケジユールなどを送るようになりました。
マイ・スケジュールは、お客様の熊谷厚子さんのご厚意で、毎月手書きのイラストを書いて頂いています。
TIGERのサプリメントは、流行しているだけの素材は扱わない。
【素材の質】と【確かな臨床データ】、【開発者の顔】がハッキリ見える製品を提供いたします。
これからも、末長く、TIGERへのご支援を宜しくお願い致します。
貴重な時間、お読みいただきましてありがとうございました。
株式会社TIGER
代表取締役 伊東正